なぜ若手ドクターに話が通じないのか

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以前から書こうと思っていた中二病感満載の哲学的な話です。ポスト構造主義で代表的なボードリヤールを例に上げ、僕なりの哲学の話と若手ドクターの価値観にどういう変化があるのか稚拙な文で書きました。

なぜ若手ドクターに話が通じないのか 

終わりなき資本主義社会

ボードリヤールは有名な哲学者ですが、シンプルに言えば「資本主義社会は破滅しませんよ」と主張した人です。資本主義なんてクソくらいだ、共産主義革命しようぜ!という風潮の中でこの主張がなされました。

 

なぜ資本主義が破滅しないのか。それは「生産時代から消費時代に移り、しかも記号を消費する時代になった」からです。ザックリと説明すると、生産時代≒生活必需品を作る、消費時代≒次から次へ消費する、そして記号≒ブランドに価値を置くことです。

 

考えてみると生存のために必要なモノに満ち溢れてる世界です。僕が生まれてから原始的なモノの根幹は何一つ変わりありません。今でストップして生産性を限りなく上げれば誰も働かなくて良い。そう思うこともあります。

 

しかし人間の欲望は尽きません。さらに良いモノが欲しい。繰り返して行けば究極のモノが生まれそうですが、延々に続きます。服なんてとうの昔に機能的な意味では限界を迎えていますが、少しずつ記号を変容させては無限に湧き出てきます。

 

それではブランドに価値を置かない、ミニマリストのようなシンプルな生活をすれば良いのではないかと思いますが、これも同じことです。無印良品はメタ消費に目をつけ「もうデザインなんていらないよね、無印で十分だ」という記号を与えたに過ぎません。

 

痺れる一文↓

”見せびらかし”によってではなく、控えめな態度や飾りのなさによって示される行動、反対物に変貌する過剰な見せびらかしであり、”より巧妙 な差異”でもある。差異化は、この場合はモノの拒否、「消費」の拒否の形を取ることができるが、これはまた極上の消費なのである。

『消費社会の神話と構造』より 

僕たちはなぜ働かないといけないのか

僕は学生の時から何度も「働きたくないでござる」と言っていました。本気で相談してグーパンチされたこともあるくらいです。どうして皆は働くことを前提にして考えているのだろうかとずっと考えていました。

 

コロナ騒動でリモートワークが話題となりましたが、多くの人々は「この作業や会議は無駄だったのでは?」ということに薄々気づいています。それなら生産性上げれば誰かが働かなくても良いのではないかと思うかもしれません。

 

しかし、現代の仕事の本質は生きるためのモノを作ることではなく、お金をグルグル回すことです。ケインズは「穴をほって埋める仕事でも景気対策には有効」とまで言ってます。そして記号消費社会は新しい記号(新しい穴掘り)を無限に生み出します。

 

抜け出すことは不可能です。ボードリヤールは「労働とは何よりもまず生きることにしか値しないと判定されたみじめさの徴である」と言ってます。身も蓋もないですが、今の社会で生きるためには、一生穴掘りするしかないと言っているのです。 

ニートこそ希望の光

実はこの話の大半は「14歳からの哲学入門」という本からのインスパイアです。筆者の飲茶先生は天才ですが、その最たることは次の哲学の話で、ニートこそが新しい時代の光なのではないかと考察されています。 

 

ボードリヤールは資本主義社会の中で労働から抜け出すためには死ぬしかないと過激な主張をしています。そんな中で飲茶先生は社会システムに組み込まれることをいっさい拒否する現代のサムライ「ニート」こそが社会を変える可能性を秘めていると光を当てています。

 

確かに今までの「働いて当たり前」という考え方から「働いたら負け」というのはパラダイムシフトと言って差し支えないでしょう。じゃあ経済はどうするのか?というツッコミが当然あるでしょうが、そんなことは知ったこっちゃない。そういう概念がありません。

 

現にベーシックインカムなど社会実験もあり、有り得る話かもしれません。その時に人類が抱える次の問題は、暇です。ケインズも働くことから開放される時代はいつかくるが、働くことから開放された人生に耐えられる人は少ないと言及しています。

 

目的のない暇な人生と真剣に向き合ってない人々が暇を肯定して人生を歩める価値観がないか。その時代の先行者はニートかもしれません。それこそがポスト構造主義の次、新時代の新しい哲学なのではないかと飲茶先生は言及しています。天才かよ。

若手ドクターの価値観が変化

ツイッタランドではいつも専門医が必要なのか、どろっぽ医はやっていけるのか等の話があります。その議論はしませんが、若手ドクターと年配ドクターの間には大きな価値観の違いがあります。それは一部の若手ドクターが労働そのものに対して疑問を抱いていることです。

 

僕は労働忌避的です。NGな発言でしょうが、奴隷医になって過ごすくらいだったら死んだ方がマシと本気で思ってました。ここまで極端な思考に陥る人は少ないでしょうが、多かれ少なかれ働きたくないと思う若手は沢山います。

 

死ぬことは選べず、それでも生きるためにはみじめさの徴である労働をすることは避けれないが、抜け道があるなら迷わずニートになりたい。この価値観を持っている人に対して働くことの意味を問うこと自体がナンセンスです。

 

ニート予備軍の中でたまたまドクターになり、途中から労働なんて意味なくね?と違うゲームを始めた人たちが若手に混じっています。ポスト構造主義と共存しつつ、新時代の価値観に備えて準備しているのが、極一部のどろっぽ医かもしれません。

 

何だコイツと思われるかもしれませんが、僕は学生時代から「働きたくないでござる 」と言っていましたし、疑問でした。そして今は大いなる暇に対して自分はどう肯定して生きるのかを考え始めてます。中二病感満載の記事でした。