元意識高い系医学生の僕が堕落した理由

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コメント返しの記事が続きましたが、今回は普段の記事に戻ろうと思います。

僕の頃を前のアメブロから知っている人からすると、昔の僕は所謂”意識高い系の医学生”だったと思います。それが今やリタイア系研修医に成り果てました。

 

今回は、堕落の理由を考察してみたいと思います。

元意識高い系医学生の僕が堕落した理由

僕の場合は意識が高いという訳ではなく、より効率的かつ高い位置で目標を達成することに意義を感じていました。医学生なので、もちろん学科試験に通ること、実習をこなすこと、国試に通ることなど目標設定は明確でした。

 

それ以前で言うと、高校に受かること、医学部に受かることなど節目節目で何も考えずにこなすべき課題があったので、言い方は変ですが攻略ゲームです。

 

こなす過程でアドバンスな事、将来必要なことへの先行投資もしてました。医学生の頃はそれこそ研修医本を読んで勉強したり、勉強会に参加してみたりと如何にもでした。

 

転換としてはハイポ病院に行ったことでしょう。最初の3ヶ月くらいはチョビっと勉強をしてみましたが、業務に対して必要な事が余りにも少なく、何となくのその場しのぎで何とかなりました。前述のように医学生の時に研修医本読んだりしていて、そこの知識貯金のおかげもあります。

 

ハイポで空想する時間は沢山あったので、これからの目標設定を考えましたが、1年目の頃はまぁ専門医取得だと思ってました。しかし、考えれば考えるほど達成意義とそこまで払う時間代償が見合っていないことから常に疑問符はつきました。

 

史上最大命題である、”お医者さんになること=医師免許取得”で幼少期から動いていて、24年の時間を使って獲得し、それには再現性のある価値がありましたが、これ以上の価値を見出すことが難しくなりました。

 

ここを乗り越えなければアドバンスステージに進めない状況では無くなり、かつ僕は人と同じことをして100%の安心感を得られるタイプではなく、全てを受け入れるほど楽観的な生き物ではないため、今に至ります。

 

といっても低きに流れて堕落したので、個の価値としては底辺です。それでもこのまま流れに身を任せても幸せにはならないと確信を持っているので、低い所からですが流れを変えたいと思っています。

 

フォローさせて頂いてる底辺理三さん(@shameofirongate) が仰るように、何かを成し遂げるためには目標設定が重要だと強く感じます。そして、人の目を気にした設定(≒何となく専門医を取る、何となく大学院に入る、何となく論文書く、何となく研究する、何となく発表するetc)では誰かのために生きる人生になる。

 

 

主体性を持って生きることはこんなにも難しいのかと痛感しますが、なんとしても実現したいと思い、この記事を書いてみました。