義務的な初期研修を終えて思うこと

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6月の地域医療を終えて、ついに初期臨床研修医としてやらなければならない義務は終えた。EPOCの入力等の些末な事はあるが、概ね終了基準まで達したと言える。

今回は義務的な初期研修を終えた今、改めて研修を振り返りたいと思う。

義務的な初期研修を終えて思うこと

「研修医」という資格は存在しない。現行のスーパーローテートは2004年よりスタートし、臨床研修の名で指導医の指導の下に臨床経験を積む卒後教育が制度化されたものである。この期間の終了を以て診療に従事することが可能になる。

 

必修化の背景には、下記の要件が挙げられている。

①地域医療との接点が少なく、専門の診療科に偏った研修が行われ、「病気を診るが、人は診ない」と評されていた。

②多くの研修医について、処遇が不十分で、アルバイトをせざるを得ず、研修に専念できない状況であった。

③出身大学やその関連病院での研修が中心で、研修内容や研修成果の評価が十分に行われてこなかった。

 

以上の背景から「研修医」に対してプライマリ・ケアの診療能力の確保と、アルバイトせずに研修に専念できる環境を整備することが求められた。必修科目(内科全般や地域医療など)や一定水準の給与が確保されたことも上記から伺える。

 

しかし、周知の事実のように研修医の都会への一極集中、研修内容のバラツキ、給与格差等から国が期待するような研修が全ての病院で十分に行われているとは言えない。

 

この制度を考えた人たちはお役所さんやスーパーローテを行っていない人たち。劣悪な環境で専門の診療科に偏った研修を送った人だろう。その人達が外国かぶれの考えから数ヶ月の育成を経ることで、プライマリに診ることが出来る医者が誕生。すなわち総合診療医が増えることで財政負担を減らそうと試みたのではないかと思う。

 

確かに、ボクが見学した虎ノ門病院、聖路加国際病院など、所謂「ハイパー病院」で十分な研修を行った崇高な医師たちは期待通りの成果を得られただろうが、こういった元々のモチベーション・能力が高い人達はこういった制度がなくとも同じように高みに登っていくだろう。なにも型にはまった初期研修の場は必要としない。

 

一方で、ボク個人としてはN数が多いと思われる「やる気のない研修医」は研修制度の肥溜めとも思える「ハイポ病院」で懐を肥やしながらヌクヌクとした研修を送っている。そして、医師としての能力には歴然とした差が生まれる一方で、この能力が正当に評価され、インセンティブとなることは少ない。

 

ボク個人の話をすると、明らかに「やる気のない研修医」に属する。医者になりたくない医学生へ にも述べたように、もともと何となく医学部に入り、何となく医者になった。ライセンスの汎用性から医師免許の素晴らしさは語り尽くせないが、同様の価値があるとしたら、ボクが「医師免許」にこだわる価値は全く無い。

 

こういった国試支援ブログを書いているが、これも別に崇高な医師を目指してほしいという訳ではなく、道を失いかけている学生・研修医に対して再現性のある逃げ道を呈示しているに過ぎない。たとえ逃げ道であっても、ボクは幸せならそれでいいと思う。

 

実際に研修医になり、患者を目の前にしたら意識が変わるかと思ったが全く変わらなかった。本当に心が貧しいのだが、本気でこの人を助けたい、治したいと思うことは滅多にない。そして、研修医のボクは責任がないことから、業務を全うしなくても勝手に何とかなってる。さすがに自身の過失から患者への不利益がもたらされるのはマズイと思うが、それも倫理観ではなく、保身の面が大きい。

 

幸いにも、病棟や救急外来でボクがミスをしたことで患者が被害が及んだことは無い。自身がそういったケースを避けたことや、迷えば絶対に保身のために上級医にコンサルトすることを守ったことが功を奏したと言える。この先は保証の限りではない。

 

思えば、よく言う手技(採血、ルート確保、CV、Aライン、腰椎穿刺、胸腔穿刺、腹腔穿刺、骨髄穿刺、挿管、一般的な外科手技etc..)も一通りこなしたが、それらもバックアップの元で経験としてやったものが多く、実際に一人で適応と判断してやらなければならない場面は今後ないだろう。挿管が出来ない医者なんてヤマほどいる。

 

ボクがこういった消極的な話をすると、出来ないよりは出来る方が良い。経験できるものは経験した方が良いといった至極まっとうな意見が飛んでくる。それに対してボクが反論する気は全く無く、その通りだと思う。何でも出来る方が良いに決まってる。

 

一方で皮肉れクソダサい研修医のボクからすると、そういった齧って出来るよう事を増やすことが差異を生むのは難しいのではないかということ。何でも出来ることをスペシャリティにするには、文字通り何でも出来る必要がある。逆に、コレしか出来ないけど、誰にも出来ないことを極めるのはブルーオーシャンなのでは無いかと感じる。

 

世間が期待している医師像は何でも屋かもしれない。飛行機で手を挙げれる医者。災害地で活躍できる医師。しかし、ボクはこういったインフラ的な医師に魅力を感じないし、ボクがなる必要はない。これはボクの価値観であり、世間の期待にボクの人生を沿わせる必要は全く無い。

 

以上のことから、今日に至るまでボクは世間的には最底辺の初期研修を送ってきたと断言する。自身で必要とないと判断したことは全くやらなかったし、面倒な行事は回避してきた。やる気がないけど続けることが出来た。

 

そして、ボクの初期研修はいったん終了とする。ココから新たにボクが望んでいた研修がスタートする。そうは言っても根本的にやる気はないが、生き抜くための戦略としてやるべき事を淡々とこなす日々になるであろう。

 

これは全て自己責任であり、結局使い物にならない人間になってもボクの責任だ。しかし、決まりきったルールやレールに沿って量産型になるくらいなら死んだほうがマシだ。どんなに非難されようと、ボクは自分の人生を生きたいと思う。